夏休み

結局、木曜金曜は地獄のような日でした。
2時過ぎまでやり直して、決裁仰いでもさらに
やり直しを命じられ、期限ぎりぎりになお
新しい資料と比較を始める上司。
どうなの?

収穫もありました。
かなり濃い人で自分の話を脈絡もなくしまくる
特徴で、私は元来苦手とする人格の持ち主で
ある人のことである。

gong wu yuanの精神かく存ずべし、というものを彼の
うちに見出した。

それはこうだ。

ある人の地位が、他者に権力を生むようなことがある。
それをさせないために、自分は断固圧力には屈しない。
だって、首にはならないし、たとえ絶命させられたにしろ
そのときのために業務災害補償があり、家族は生きていける。


つまり、上にいけばいくほど、自分の地位が惜しくなる。
ここでうんといわないならば「はずされる」かもしれない。
したがって、声の大きな人や団体の「無理」を聞いてしまう。
という構図は決してあってはならず、それがgong wu yuanの責務
だというもの。


おおむねこのような趣旨であったが、これは琴線にふれた
ので書き留めておきました。



なんか私大の院生がうちの大学をうける勉強をしているらしい
ことを知った。


それにつけても、物事を真剣に考えようとする姿勢のない人を
蔑んではばからない精神は相変わらず根付いてしまっている。

もちろん、会話には楽しさが必要であるし、戯言からアイデア
生じることのあることを否定しない。

とはいえ、逆に、楽しくないからといって、冷静な判断を放棄
することは、ばかげている。

おそらく、私がいま対極にいると思っている人たちと、私とは
立場が異なる。
それを前提としてもなお、ここで求めたいのは柔軟性だ。

ギャグを求めていたとしても、相手の言動に対応した機転が利く
ことによって、当意即妙なreplyを返すぐらいの器量があって
初めて偉そうなことを言ってほしいものだ。

求めると求めざるとにかかわらず、あちら側の人々は、
「そんな教養なんていらないし、下品でも生きていける」
と御託をお並べになる。

もちろん、余裕のない状況で生活するものがあるのを私は知っているし、
そういう状況からこそ今がある私である。

私が尊敬するある先生の議論によれば、やはり、立場のリバーシビリティ
を常に念頭において頑張るしかないのだろう。
相手にもそれを求めたいところだが、そういう考えのない人たち(立場のリバースなんてクソ食らえ)
という設定をすると、リバース自体が求められないので困る。