結局ぷれすはっぴょうの修正をしに職場にいった。
管理職以上に決裁を仰ぐときは、やはりグラフなど
はカラー印刷で判断に集中してもらえるような
ペーパーをもっていく方が、スムーズでよい。
物件費の削減との絡みで難しいところではあるが。

今日は、親元の会社群のうちのひとつの同期入社が
研修できているというのでめしを食べた。

なんというか、ずっと親元にいると、こんなに
こどもっぽい、学生じみたままで、ここまでナイーブに
権威主義的になれるものかと、感嘆した。

彼らは、現場のことを何もわかっていない。
わかってないのにえらそうなこといってんなよ。

まあしかし、同じような立場におかれていたら
もしかしたら自分もああなっていたかもしれないこと
を思えば、この経験は確かに職業人としての財産で
あることの軽い裏づけにもなりえた気がして、少し
心地よくもあるから、不思議だ。

高度経済成長が、高齢化を生み出した、か。
経済成長の副産物か、高齢化は。
景気低迷を理由に副産物に対する責任を放棄
はできないことになる。
でも副産物というマイナス評価ではなく、寿命の
伸びが経済成長のおかげだというとらえかたを
すれば、村人たちにとっては経済が頑張ってくれた
おかげで命がながびいて孫の大きくなるところ
までみられるようになったということで、
高齢化に対する経済成長の功罪という構図での
責められ方はないかもしれない。

てことは、やはり行政課題と捉えて、行政の
公権的引き受けを行うのがいいのか。
全国民で負担しましょう、と。